萱生城

別名-  付近住所 三重県四日市市萱生町 現在 暁学園
2010/1/11 碑・案内板アリ 日本城郭大系


春日部氏 「髪のびの井戸」
 この井戸は、萱生城跡に遺された古井戸のひとつで、通称「髪のびの井戸」といわれているものです。
 1571(元亀2)年の5月に始まった伊勢長島一向一揆の鎮圧に先だって、1568(永禄11)年に、織田信長軍本隊の先鋒隊として派遣された豊臣秀吉・瀧川左近の連合軍により萱生城は攻撃をうけました。当時の城主は、北勢三家衆(土豪)の勢力頭として、近隣の大矢知経頼、伊坂(現、伊坂ダム付近)の春日部太郎右衛門などの土豪を従えて活躍をしていた春日部俊家でしたが、中村地内(学園向い丘陵)に対峙した織田連合軍を向うにまわして5年間も奮戦しました。しかし、兵糧も尽き手負の将兵の傷も癒えるまもないまま、1573(天正元)年の総攻撃により炎上し、北勢一の要塞・萱生城も灰燼に帰しました。
 炎渦まく中に、女人集の多くは落ち延びようともせずこの井戸に吾身を投じ、城と運命をともにしたのです。それ以来、いつからともなく、この古井戸に姿を映す人は髪が伸びると語り伝えられるようになりました。
 また、霧深い夕暮れ時など、怨念こもる火玉状の炎煙が霧に映えることもあったといわれています。

 今日、近代的な白亜の学舎が立つこの城山で、往時を偲ぶことのできるのは、この古井戸と「山神」の銘が刻まれた石碑、柱止めの基石などのみです。山野辺を吹き上る風音の中に、乱世に生きた武将や女人衆達の悲運の嘆きが聞こえてくるように思われます。

       


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